高速道路無料化批判に対する反論記事への反論・・・のつもり [政治部]
文藝春秋十二月号に『「高速無料化」は日本経済の起爆剤』と題した論考が寄稿されている。山﨑養世事務所代表山﨑養世氏によるものである。山﨑氏は、高速道路無料化推進論者であり、この論考では高速道路無料化に対する批判論に対して反論という形で、高速道路無料化の正当性を主張している。しかし、私はこれには些かの訝しさを感じている。そこで、その「反論」を検証してみたいと思う。
まず、「無料化」は受益者負担の原則に反するという批判に対しての反論だ。山﨑氏は、「受益者負担の原則とは、便益を得ている者がその対価を支払うべきだ」として、高速道路利用の場合を「高速道路を利用している人が得ている便益の対価を通行料のかたちで支払うべきである」と批判の内容を説明する。そして、それに対して「高速道路の利用者は通行料を支払う前に実は税金のかたちで『対価=通行料』を支払っている」、「通行料の二重取りをされている」と反論している。
私は、これに違和感を覚えた。高速道路を利用した際の便益とは一体何であろうか。それは「通行する」ことももちろんだが、一般道にない、文字通り「高速で移動する」ことなのではないだろうか。高速で移動するという一般道と差別化された付加価値に対して「高速道路通行料」を支払うと考えるのが自然だろう。
また、単に通行料というならば、高速道路を利用しない運転者は、氏のいう「便益」を受けないわけだから、高速道路に当てられる税金分は還元せねばならないという話にもなる。
第2の反論は、日本高速道路保有・債務返済機構が抱える約31兆円の債務を税金投入して支払うのは、国民にツケを回すことになるという批判に対するものである。
高速道路債務返済機構が破たんする可能性があり、また金利の上昇、少子高齢化によるドライバーの減少で通行料収入が減少するなどで当初の返済計画が破たんし、多額の債務が残るから、結局税金を投入せねばならないというものである。しかし、これらは、すべて仮定の範疇の話であるから、計画通りに事が運ぶという可能性も否定できない。私も金利上昇による返済額の増加は懸念すべき話であると思うが、だからといって高速道路無料化が正当だという話に直結しない。
さらに氏は、ここで首都高速や阪神高速などの大都市圏の高速道路は有料を維持すべきであると言及している。第1の反論の際に、通行料は「二重取り」と言っていたはずだが、整合性が見られない。
山﨑氏は、現在の高速道路会社をかつての民鉄会社のように地域開発会社として変貌させ、地方経済の再生を訴える。誠に頼もしい構想だが、地方の一般道沿いで商いをする人たちは、既に高速道路通行料1,000円化の施策によって影響を受けているという現実を見なくてはならない。高速道路の出入り口を増やすなどするとはいうが、賑わうのはせいぜい出入り口付近、それも比較的人口の多い都市部であり、それ以外(出入り口間の地域や辺鄙な場所に位置する出入り口付近)は閑古鳥が鳴くようにも思う。
そして、山﨑氏は、高速道路無料化によって収益を悪化させることになる他業種への影響についてはほとんど触れていない。せいぜい「鉄道が国民の第一の足である時代は終わった」と触れているのみである。「国民の8割が自動車に依存して生活をして」おり、それを「時代の変化」だというが、車を利用しない人はどうなるのか。車中心の時代だからといって、他業種に影響が出てもしょうがないでは困るのである。
今年6月、広島県と愛媛県を結ぶ呉松山フェリーが廃止された。幸いにも瀬戸内海汽船や石崎汽船などが現在も松山と呉を結ぶから、航路は維持されてはいる。しかし、呉・松山フェリーが廃止された理由の一端に「高速道路利用料1,000円」の影響があったというから、今後、各所において同様の動きが見られるだろう(2009年11月18日付の読売新聞で「西鉄、バス事業をリストラへ・・・高速割引が打撃」というニュースも出ている)。つまり、高速無料化は、地域開発どころか地域衰退への道を辿るリスクを背負っているということである。 そのリスクを冒してまでも、無料化にする意義があるというのなら、大いにやってもらいたいところだが、私にはリスクの方が大きく見えてしまうのである。
![文藝春秋 2009年 12月号 [雑誌] 文藝春秋 2009年 12月号 [雑誌]](http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/jan_4910077/4910077011297.jpg?_ex=128x128)
まず、「無料化」は受益者負担の原則に反するという批判に対しての反論だ。山﨑氏は、「受益者負担の原則とは、便益を得ている者がその対価を支払うべきだ」として、高速道路利用の場合を「高速道路を利用している人が得ている便益の対価を通行料のかたちで支払うべきである」と批判の内容を説明する。そして、それに対して「高速道路の利用者は通行料を支払う前に実は税金のかたちで『対価=通行料』を支払っている」、「通行料の二重取りをされている」と反論している。
私は、これに違和感を覚えた。高速道路を利用した際の便益とは一体何であろうか。それは「通行する」ことももちろんだが、一般道にない、文字通り「高速で移動する」ことなのではないだろうか。高速で移動するという一般道と差別化された付加価値に対して「高速道路通行料」を支払うと考えるのが自然だろう。
また、単に通行料というならば、高速道路を利用しない運転者は、氏のいう「便益」を受けないわけだから、高速道路に当てられる税金分は還元せねばならないという話にもなる。
第2の反論は、日本高速道路保有・債務返済機構が抱える約31兆円の債務を税金投入して支払うのは、国民にツケを回すことになるという批判に対するものである。
高速道路債務返済機構が破たんする可能性があり、また金利の上昇、少子高齢化によるドライバーの減少で通行料収入が減少するなどで当初の返済計画が破たんし、多額の債務が残るから、結局税金を投入せねばならないというものである。しかし、これらは、すべて仮定の範疇の話であるから、計画通りに事が運ぶという可能性も否定できない。私も金利上昇による返済額の増加は懸念すべき話であると思うが、だからといって高速道路無料化が正当だという話に直結しない。
さらに氏は、ここで首都高速や阪神高速などの大都市圏の高速道路は有料を維持すべきであると言及している。第1の反論の際に、通行料は「二重取り」と言っていたはずだが、整合性が見られない。
山﨑氏は、現在の高速道路会社をかつての民鉄会社のように地域開発会社として変貌させ、地方経済の再生を訴える。誠に頼もしい構想だが、地方の一般道沿いで商いをする人たちは、既に高速道路通行料1,000円化の施策によって影響を受けているという現実を見なくてはならない。高速道路の出入り口を増やすなどするとはいうが、賑わうのはせいぜい出入り口付近、それも比較的人口の多い都市部であり、それ以外(出入り口間の地域や辺鄙な場所に位置する出入り口付近)は閑古鳥が鳴くようにも思う。
そして、山﨑氏は、高速道路無料化によって収益を悪化させることになる他業種への影響についてはほとんど触れていない。せいぜい「鉄道が国民の第一の足である時代は終わった」と触れているのみである。「国民の8割が自動車に依存して生活をして」おり、それを「時代の変化」だというが、車を利用しない人はどうなるのか。車中心の時代だからといって、他業種に影響が出てもしょうがないでは困るのである。
今年6月、広島県と愛媛県を結ぶ呉松山フェリーが廃止された。幸いにも瀬戸内海汽船や石崎汽船などが現在も松山と呉を結ぶから、航路は維持されてはいる。しかし、呉・松山フェリーが廃止された理由の一端に「高速道路利用料1,000円」の影響があったというから、今後、各所において同様の動きが見られるだろう(2009年11月18日付の読売新聞で「西鉄、バス事業をリストラへ・・・高速割引が打撃」というニュースも出ている)。つまり、高速無料化は、地域開発どころか地域衰退への道を辿るリスクを背負っているということである。 そのリスクを冒してまでも、無料化にする意義があるというのなら、大いにやってもらいたいところだが、私にはリスクの方が大きく見えてしまうのである。
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タグ:高速無料化
事故調元委員がJR西前社長に情報漏えい [社会部]
概要
西日本旅客鉄道株式会社(以下、本稿においては「JR西日本」という)が、2005年4月25日に起こした、いわゆる「福知山線脱線事故」について、当時の航空鉄道事故調査委員会(以下、本稿においては「事故調」という。また、現在は国交省の外局「運輸安全委員会」となっている)の委員の一人、山口浩一氏が、JR西日本前社長の山崎正夫氏に対して、事故調査報告書を公表する前に個別に報告書案を渡していたというものである。それを受けて、山崎前社長は、山口元委員に対して、報告案の内容を修正するよう働きかけていたことが明らかになっている。公正中立な立場から事故の原因究明を図る事故調と、被疑者たるJR西日本が裏側で、事前に情報をやりとりしていたことになり、事故調の公正中立というものの信頼性と、JR西日本のモラルが問われる、重大な問題である。
具体的な事案
山口元委員は、山崎前社長とは国鉄時代の先輩・後輩の間柄で、山崎前社長の側から、山口元委員に働きかけがあったという。公表前の報告書案を見て、山崎前社長は山口元委員に「事故現場にATS-Pの設置があれば事故は防げた」旨(参考:鉄道事故調査報告書230頁)の削除を要求し、実際に委員会の席上で山口元委員による修正が意見されたが、他の委員の反対によって報告書自体に影響はなかったという。なお、山口元委員は、山崎前社長側の負担で食事などの接待、鉄道模型その他玩具の提供を受けたという。
犯罪の思慮
被害者およびその遺族、家族に対する裏切り行為であることに疑いはないが、私が重要視したいのは、事故調の委員に対して公表前における報告書案の提示とJR西日本側の要求に従い、その見返りに金品の授受があったということである。事故調の委員はその身分が非常勤の公務員であり、航空・鉄道事故調査委員会設置法(現・運輸安全委員会設置法)第12条により守秘義務が課されているから、これは山口元委員には受託収賄(刑法第197条第1項)の疑いがあろうし、山崎前社長には贈賄(刑法第198条)の疑いがあろう。
結びとして
その辺りの判断は司直の手に委ねられることになるが、JR西日本に対する不信は払拭できず、事故調に対する信頼度が失われたことは拭いがたい事実となってしまった。信頼回復の道などあろうものかというほどの深刻な不祥事である。
参考:福知山線脱線事故の事故調査報告書(http://araic.assistmicro.co.jp/railway/report/RA07-3-1-1.pdf)
西日本旅客鉄道株式会社(以下、本稿においては「JR西日本」という)が、2005年4月25日に起こした、いわゆる「福知山線脱線事故」について、当時の航空鉄道事故調査委員会(以下、本稿においては「事故調」という。また、現在は国交省の外局「運輸安全委員会」となっている)の委員の一人、山口浩一氏が、JR西日本前社長の山崎正夫氏に対して、事故調査報告書を公表する前に個別に報告書案を渡していたというものである。それを受けて、山崎前社長は、山口元委員に対して、報告案の内容を修正するよう働きかけていたことが明らかになっている。公正中立な立場から事故の原因究明を図る事故調と、被疑者たるJR西日本が裏側で、事前に情報をやりとりしていたことになり、事故調の公正中立というものの信頼性と、JR西日本のモラルが問われる、重大な問題である。
具体的な事案
山口元委員は、山崎前社長とは国鉄時代の先輩・後輩の間柄で、山崎前社長の側から、山口元委員に働きかけがあったという。公表前の報告書案を見て、山崎前社長は山口元委員に「事故現場にATS-Pの設置があれば事故は防げた」旨(参考:鉄道事故調査報告書230頁)の削除を要求し、実際に委員会の席上で山口元委員による修正が意見されたが、他の委員の反対によって報告書自体に影響はなかったという。なお、山口元委員は、山崎前社長側の負担で食事などの接待、鉄道模型その他玩具の提供を受けたという。
犯罪の思慮
被害者およびその遺族、家族に対する裏切り行為であることに疑いはないが、私が重要視したいのは、事故調の委員に対して公表前における報告書案の提示とJR西日本側の要求に従い、その見返りに金品の授受があったということである。事故調の委員はその身分が非常勤の公務員であり、航空・鉄道事故調査委員会設置法(現・運輸安全委員会設置法)第12条により守秘義務が課されているから、これは山口元委員には受託収賄(刑法第197条第1項)の疑いがあろうし、山崎前社長には贈賄(刑法第198条)の疑いがあろう。
結びとして
その辺りの判断は司直の手に委ねられることになるが、JR西日本に対する不信は払拭できず、事故調に対する信頼度が失われたことは拭いがたい事実となってしまった。信頼回復の道などあろうものかというほどの深刻な不祥事である。
参考:福知山線脱線事故の事故調査報告書(http://araic.assistmicro.co.jp/railway/report/RA07-3-1-1.pdf)
民主党を支持してはいないけれど。 [政治部]
前原誠司国交相の件である。
彼は、民主党の代表も務めたこともある、党内きっての若手リーダーであり、今回、鳩山内閣では国交相の任に当たっている。SL撮影が趣味で、議員会館の自室にはご自身がお撮りになったSLの写真がパネルにして飾られているほどである。
八ツ場ダムやJAL再建、高速無料化など、就任早々難題山積で、それはそれで気の毒にも感じる。しかし、JAL再建はともかく、政権交代に伴う政策の変更はそれほどのエネルギーを要さねばならないことは、政権交代の前から言われていたことなので、気の毒というよりやむを得ざることなのだろう。
私は、民主党を支持していないが、前原誠司氏には、安全保障に対するスタンスにシンパシーを感じており、期待している。だからこそ、今回、国交相よりも、外相や防衛相など、彼のライフワークが発揮できる立場で活躍されることを期待したのだが、任命権者の鳩山首相は、彼の保守的な思想を警戒したかどうか、国交相という彼のイデオロギーとは無縁のポストを割り当てたのである。そういう意味では、前原氏は貧乏くじを引かされたような感は否めないが、これらの山積する難題を解決すれば、彼の政治手腕に対する評価は向上するのだから、それはそれで彼にとっては歓迎すべき話しなのかもしれない。そんな俗っぽい思想はおそらく彼にはないだろうことは、彼のメディアを前にした言葉の端々からうかがい知ることができる。
彼は、八ツ場ダムの一件で、視察および住民からのヒアリングの前に中止を言明したことを批判されている。私は、ダムの建設を中止すべきか否かについて、正直よくわからないが、人間とは感情の生き物なのだということは理解できた。中止あるいは続行した場合のそれぞれの費用が幾ら掛かるかという話題がメディアで出ていたが、もはや当事者の一である住民側は、中止、続行のそれぞれ共々が感情論として、このダム問題を捉えているように思う。そういう方々に対して、今後説得をせねばならない前原氏の負担は大きく、一層のこと、中止を撤回すれば楽になるだろうにと、こちらが思ってしまうが、公約を遵守するという信念が強ければそれはないだろうなと思う。
JALの西松遙社長から再建策についてヒアリングをした後のインタビューで、彼は目を赤くしていた。ここ数日来の多忙さが伺える。おそらくは十分に睡眠を取れていないのだろう。副大臣、大臣政務官、大臣秘書官らが、大臣の体調管理にも気を配り、無理をしているようなら、マニフェストの実行に水を差すようであっても、身を張って制止すべきである。彼ほどの人材を、ダム問題などで、神経をすり減らさせて潰してはならない。
彼は、民主党の代表も務めたこともある、党内きっての若手リーダーであり、今回、鳩山内閣では国交相の任に当たっている。SL撮影が趣味で、議員会館の自室にはご自身がお撮りになったSLの写真がパネルにして飾られているほどである。
八ツ場ダムやJAL再建、高速無料化など、就任早々難題山積で、それはそれで気の毒にも感じる。しかし、JAL再建はともかく、政権交代に伴う政策の変更はそれほどのエネルギーを要さねばならないことは、政権交代の前から言われていたことなので、気の毒というよりやむを得ざることなのだろう。
私は、民主党を支持していないが、前原誠司氏には、安全保障に対するスタンスにシンパシーを感じており、期待している。だからこそ、今回、国交相よりも、外相や防衛相など、彼のライフワークが発揮できる立場で活躍されることを期待したのだが、任命権者の鳩山首相は、彼の保守的な思想を警戒したかどうか、国交相という彼のイデオロギーとは無縁のポストを割り当てたのである。そういう意味では、前原氏は貧乏くじを引かされたような感は否めないが、これらの山積する難題を解決すれば、彼の政治手腕に対する評価は向上するのだから、それはそれで彼にとっては歓迎すべき話しなのかもしれない。そんな俗っぽい思想はおそらく彼にはないだろうことは、彼のメディアを前にした言葉の端々からうかがい知ることができる。
彼は、八ツ場ダムの一件で、視察および住民からのヒアリングの前に中止を言明したことを批判されている。私は、ダムの建設を中止すべきか否かについて、正直よくわからないが、人間とは感情の生き物なのだということは理解できた。中止あるいは続行した場合のそれぞれの費用が幾ら掛かるかという話題がメディアで出ていたが、もはや当事者の一である住民側は、中止、続行のそれぞれ共々が感情論として、このダム問題を捉えているように思う。そういう方々に対して、今後説得をせねばならない前原氏の負担は大きく、一層のこと、中止を撤回すれば楽になるだろうにと、こちらが思ってしまうが、公約を遵守するという信念が強ければそれはないだろうなと思う。
JALの西松遙社長から再建策についてヒアリングをした後のインタビューで、彼は目を赤くしていた。ここ数日来の多忙さが伺える。おそらくは十分に睡眠を取れていないのだろう。副大臣、大臣政務官、大臣秘書官らが、大臣の体調管理にも気を配り、無理をしているようなら、マニフェストの実行に水を差すようであっても、身を張って制止すべきである。彼ほどの人材を、ダム問題などで、神経をすり減らさせて潰してはならない。
ある年寄りの一言だけど、その通りです [政治部]
「生活よりも外交・安全保障がしっかりしていないといけない。攻めてこられたら怖い」
私の祖母が政治報道を目にしているとき、常々口にする言葉である。
彼女は大正8年5月生まれなので、現在90歳と4ヶ月であり、健在である。誕生したころの世情を見ていくと、中華民国で五・四運動、第1次世界大戦が終わった後、その講和条約としてヴェルサイユ条約が結ばれ、日本文学においては有島武郎が「或る女」を発表している。当時の日本の総理は、宰相・原敬であった。学年は一つ上になるが、同じ年の2月にアンパンマンのやなせたかし、10月には後に第78代総理大臣になる宮沢喜一が生まれ、1月には女優の松井須磨子、テディベアで有名なセオドア・ルーズベルト第26代米国大統領、東京駅赤煉瓦駅舎の設計者辰野金吾、日本の郵便制度の創設者である前島密、自由民権運動の板垣退助、アメリカの実業家カーネギー、フランスの印象派の画家ルノワールらが、鬼籍に入っている。
そんな激動の世に生まれた彼女は、後に結婚し、大東亜戦争を経験している。終戦の時、26歳であった。8月になると、テレビや新聞などでは第2次世界大戦の話題で踊る。それを目にする祖母は、「あの戦争は酷かった。戦争はもう嫌だ」という。彼女が体験した戦争を、私は何度か聞いたから、その話はまた別の機会にするとして、その話から感じたことは、彼女は戦争というものに断固として反対しているということである。
だからこそ、先述の「生活よりも外交・安全保障がしっかりしていないといけない」という言葉に些かの違和感を覚えた。しかし、すぐに「攻めてこられたら怖い」という一言に、私は合点がいった。つまり、彼女の論理では、「戦争をしたくない→そのためにはどうすべきか→戦争をしないような積極的行動を取る必要がある→ゆえに外交・安全保障をしっかりしておかなければならない」ということである。生活は、外交・安全保障が強固であるゆえに成り立つのだと、祖母は言う。これは、大東亜戦争の苦い経験によるもので、有事、すなわち戦争状態においては生活は成り立たず、すべては戦争の犠牲になるという。「生活第一」などというのは、現状認識が欠けている思想で、「生活」の前に「外交・安全保障」が最優先課題だと、祖母は言う。祖母は、自衛隊のインド洋派遣を延期しないのは、今後の国際的な日本の立場を危うくする恐れがあると言って、否定的だ。つまり、外交上の発言力の低下を招くというように考えているらしい。
私も同感である。憲法第9条を錦の御旗に掲げて、9条があるからこそ戦争は起こらないなどというのは、それを信奉している方々には申し訳ないが、妄言妄説の類としか感じられない。物事というのは例外なく、準備が万端であることで、その目的を達することができる。外交にしろ、安全保障にしろ、準備を整えておくことが肝要である。また、目に見えないことや、直接的でないことを軽視すべきではない。一見、関係のない事象も、どこかで関わりを持つのである。それが、殊更、外交・安全保障の面においてはよく見られることで、そこにムダなどという言葉はない。
私の祖母が政治報道を目にしているとき、常々口にする言葉である。
彼女は大正8年5月生まれなので、現在90歳と4ヶ月であり、健在である。誕生したころの世情を見ていくと、中華民国で五・四運動、第1次世界大戦が終わった後、その講和条約としてヴェルサイユ条約が結ばれ、日本文学においては有島武郎が「或る女」を発表している。当時の日本の総理は、宰相・原敬であった。学年は一つ上になるが、同じ年の2月にアンパンマンのやなせたかし、10月には後に第78代総理大臣になる宮沢喜一が生まれ、1月には女優の松井須磨子、テディベアで有名なセオドア・ルーズベルト第26代米国大統領、東京駅赤煉瓦駅舎の設計者辰野金吾、日本の郵便制度の創設者である前島密、自由民権運動の板垣退助、アメリカの実業家カーネギー、フランスの印象派の画家ルノワールらが、鬼籍に入っている。
そんな激動の世に生まれた彼女は、後に結婚し、大東亜戦争を経験している。終戦の時、26歳であった。8月になると、テレビや新聞などでは第2次世界大戦の話題で踊る。それを目にする祖母は、「あの戦争は酷かった。戦争はもう嫌だ」という。彼女が体験した戦争を、私は何度か聞いたから、その話はまた別の機会にするとして、その話から感じたことは、彼女は戦争というものに断固として反対しているということである。
だからこそ、先述の「生活よりも外交・安全保障がしっかりしていないといけない」という言葉に些かの違和感を覚えた。しかし、すぐに「攻めてこられたら怖い」という一言に、私は合点がいった。つまり、彼女の論理では、「戦争をしたくない→そのためにはどうすべきか→戦争をしないような積極的行動を取る必要がある→ゆえに外交・安全保障をしっかりしておかなければならない」ということである。生活は、外交・安全保障が強固であるゆえに成り立つのだと、祖母は言う。これは、大東亜戦争の苦い経験によるもので、有事、すなわち戦争状態においては生活は成り立たず、すべては戦争の犠牲になるという。「生活第一」などというのは、現状認識が欠けている思想で、「生活」の前に「外交・安全保障」が最優先課題だと、祖母は言う。祖母は、自衛隊のインド洋派遣を延期しないのは、今後の国際的な日本の立場を危うくする恐れがあると言って、否定的だ。つまり、外交上の発言力の低下を招くというように考えているらしい。
私も同感である。憲法第9条を錦の御旗に掲げて、9条があるからこそ戦争は起こらないなどというのは、それを信奉している方々には申し訳ないが、妄言妄説の類としか感じられない。物事というのは例外なく、準備が万端であることで、その目的を達することができる。外交にしろ、安全保障にしろ、準備を整えておくことが肝要である。また、目に見えないことや、直接的でないことを軽視すべきではない。一見、関係のない事象も、どこかで関わりを持つのである。それが、殊更、外交・安全保障の面においてはよく見られることで、そこにムダなどという言葉はない。
民主党よ、変節を恐るるなかれ [政治部]
鳩山由紀夫総理による民主党政権が誕生した。昨日は新閣僚が各省庁に初登庁したことは、報道などで明らかである。そこでは、早速、民主党が前の衆議院選挙において提示したマニフェストに基づき、政策の変更を公言している。例えば、前原国土交通相は群馬県の八ツ場ダムの建設中止を、長妻厚生労働相は後期高齢者医療制度の廃止、原口総務相と亀井郵政問題担当・金融相は郵政問題に関して、日本郵政の西川社長に対して引責を求めるなど、それぞれ公言している。
八ツ場ダム問題では、地域住民のほとんどが移転することが決まっており、今更中止となることに批判的だ。水利の恩恵を受けるため、利根川の流域自治体においては、既に数百億の負担金を納めているため、政権による一方的な措置に困惑と批判が噴出しており、民主党で衆議院議員を務めた上田清司埼玉県知事でさえ「ルール無視、手続き無視」として政権に対して批判した。
民主党政権は、些か結果に対して急ぎすぎているのではないかと思う。マニフェストで提示した政策案を具現化して実績を残さねばならない、もっと言えば、官僚主導が目立った前政権との明確な違い、すなわち現政権による政治主導の立場を明らかにしなければならない、そういったある種の空気のようなものに支配されているのではないだろうか。つまり、そういうポージングを取ることを目的化してしまっているのではないかと邪推する。
そして、民主党政権は政治主導の行政運営を目指すため、官僚を一方的な政治による支配でコントロールしようとしている。しかし、これは三権分立の精神から言えばそのシステムが健全に働いていないと考える。一般的に、内閣は行政権の行使者であるが、議院内閣制を採用した我が国においては原則として国会議員による行政の支配がなされる。つまり、立法権(国会)による行政権への干渉と言っても良い。その代わりに内閣は国会に対して連帯して責任を負うのだから、これにより抑制と均衡が取られる。ところが、現状においては民主党による政治主導というものが国会による行政への一方的な支配になっている感が否めない。これでは権力不均衡で、健全な行政執行が図られるか疑問だと言わねばならない。
現政権がかつて野党時代だったとき、前政権の長の変節を「ブレた」という軽い言葉で批判した。それにマスコミも乗っかって、何か方針を変えようものなら、方針変更が国民の利益になることでさえ、その変節を批判したのである。しかし、これは権力に対して非常に危険な方向へ導く恐れがある。というのは、「ブレた、ブレた」と言って何でもかんでもブレることが悪だと批判することは、すなわち一旦口に出したなら、その言質を変えることは許されないと言っているようなものである。そうなれば周りの意見を取り入れて修正することも許されないということであり、周りの意見を聞いて修正することの無意味さから、権力側に方針を修正させる余地を奪い、よって独裁へ走らせるよう導いていることに他ならない。それに対しては、根回しせずに口にするからだという批判があるが、常々情報公開せよと散々言ってきたのは野党やマスコミの側であり、権力者はそれに応えただけのことである。それとも、情報公開の請求に対して、最終的に決まるまで待つようにと言えば、彼らは納得したのかというと、そうは考えられない。「ブレた、ブレた」と言って批判することは権力者を却って暴走させることになる。
私は、そのような批判を展開してきた民主党に対して、当時からその点を危惧していた。野党時代に「ブレた」と言って批判した手前、政権側に就いたとき、一度口にしたら何が何でも変更しないと言って頑なになるのではないかということである。現に、今の民主党政権においては、八ツ場ダムの一件にせよ、そのような状況に陥っているのではないか。つまり、それが先述したマニフェストに束縛されるということである。しかし、私はそのことの方を批判したい。健全で合理的な利益を得るためには、変節はあっても構わないし、むしろ歓迎なのである。
まだマニフェストの実行を正式に決定したわけではないのだから、関係各機関と協議の上、マニフェストに囚われない柔軟な行政の執行を期待したい。私が特に懸念している、補正予算の執行停止、円高の容認、インド洋の補給支援活動、高速無料化、後期高齢者医療制度など変節を期待したい案件はいくらでもある。「ブレた」と言われ批判されることを恐れるなと言いたい。政治は結果責任だと言われる。最適な結果を出せるのなら、変節など取るに足らないのである。
八ツ場ダム問題では、地域住民のほとんどが移転することが決まっており、今更中止となることに批判的だ。水利の恩恵を受けるため、利根川の流域自治体においては、既に数百億の負担金を納めているため、政権による一方的な措置に困惑と批判が噴出しており、民主党で衆議院議員を務めた上田清司埼玉県知事でさえ「ルール無視、手続き無視」として政権に対して批判した。
民主党政権は、些か結果に対して急ぎすぎているのではないかと思う。マニフェストで提示した政策案を具現化して実績を残さねばならない、もっと言えば、官僚主導が目立った前政権との明確な違い、すなわち現政権による政治主導の立場を明らかにしなければならない、そういったある種の空気のようなものに支配されているのではないだろうか。つまり、そういうポージングを取ることを目的化してしまっているのではないかと邪推する。
そして、民主党政権は政治主導の行政運営を目指すため、官僚を一方的な政治による支配でコントロールしようとしている。しかし、これは三権分立の精神から言えばそのシステムが健全に働いていないと考える。一般的に、内閣は行政権の行使者であるが、議院内閣制を採用した我が国においては原則として国会議員による行政の支配がなされる。つまり、立法権(国会)による行政権への干渉と言っても良い。その代わりに内閣は国会に対して連帯して責任を負うのだから、これにより抑制と均衡が取られる。ところが、現状においては民主党による政治主導というものが国会による行政への一方的な支配になっている感が否めない。これでは権力不均衡で、健全な行政執行が図られるか疑問だと言わねばならない。
現政権がかつて野党時代だったとき、前政権の長の変節を「ブレた」という軽い言葉で批判した。それにマスコミも乗っかって、何か方針を変えようものなら、方針変更が国民の利益になることでさえ、その変節を批判したのである。しかし、これは権力に対して非常に危険な方向へ導く恐れがある。というのは、「ブレた、ブレた」と言って何でもかんでもブレることが悪だと批判することは、すなわち一旦口に出したなら、その言質を変えることは許されないと言っているようなものである。そうなれば周りの意見を取り入れて修正することも許されないということであり、周りの意見を聞いて修正することの無意味さから、権力側に方針を修正させる余地を奪い、よって独裁へ走らせるよう導いていることに他ならない。それに対しては、根回しせずに口にするからだという批判があるが、常々情報公開せよと散々言ってきたのは野党やマスコミの側であり、権力者はそれに応えただけのことである。それとも、情報公開の請求に対して、最終的に決まるまで待つようにと言えば、彼らは納得したのかというと、そうは考えられない。「ブレた、ブレた」と言って批判することは権力者を却って暴走させることになる。
私は、そのような批判を展開してきた民主党に対して、当時からその点を危惧していた。野党時代に「ブレた」と言って批判した手前、政権側に就いたとき、一度口にしたら何が何でも変更しないと言って頑なになるのではないかということである。現に、今の民主党政権においては、八ツ場ダムの一件にせよ、そのような状況に陥っているのではないか。つまり、それが先述したマニフェストに束縛されるということである。しかし、私はそのことの方を批判したい。健全で合理的な利益を得るためには、変節はあっても構わないし、むしろ歓迎なのである。
まだマニフェストの実行を正式に決定したわけではないのだから、関係各機関と協議の上、マニフェストに囚われない柔軟な行政の執行を期待したい。私が特に懸念している、補正予算の執行停止、円高の容認、インド洋の補給支援活動、高速無料化、後期高齢者医療制度など変節を期待したい案件はいくらでもある。「ブレた」と言われ批判されることを恐れるなと言いたい。政治は結果責任だと言われる。最適な結果を出せるのなら、変節など取るに足らないのである。
上品にあれこれ啓上候を始めます [ごあいさつ]
この度、「上品にあれこれ啓上候」と題しまして、主に雑感を纏めたブログを始めました。
このブログの中では、政治経済からくだらないことまで、私が感じたことを表現していきたいと思います。
したがいまして、時には名指しして批判をすることもありますが、その場合には、相手の名誉を傷つけないように悪口雑言を排して細心の注意を払いたいと思います。そういう意図もありまして、「上品に」と題名を付けさせていただきました。
よろしくお願いいたします。
このブログの中では、政治経済からくだらないことまで、私が感じたことを表現していきたいと思います。
したがいまして、時には名指しして批判をすることもありますが、その場合には、相手の名誉を傷つけないように悪口雑言を排して細心の注意を払いたいと思います。そういう意図もありまして、「上品に」と題名を付けさせていただきました。
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